空っぽのたいへんさ

 

たいへんだ。

目的もなく役割もなく、ただ存在しているのって、たいへんだ。

一応、主婦という役割がある。今月退職した会社の、事務的な後片付けもまだたくさんある。5ヶ月後には、母親になる。

親になる心構えが全然育ってないから、いろいろ読んでみたい本がある。

現代医療に不信感をもっているから、予防接種や代替医療の勉強もしておきたい。

だけどだけど、2~3日前から落とし穴にはまったみたいに、気持ちが止まってしまった。

最近は調子よかったんだけど、毎回毎回、がんばって料理するのに疲れてしまった。そんなことで...って、頭ではわかってるんやけど。

どうやったら、楽しめるんやろう。会社員としては、挫折してしまった。効率よくまわせばまわすほど、仕事ができるようになればなるほど、どんどん負担が増えてしんどくなってく。自分が変わらないと、再就職しても同じ状況になるんやろうなぁ。

「こなす」「さばく」っていう発想を変えた方がいいんやろうか。そう、たぶん、自分の根本的な発想が、いつも自分を追い込んでる。

自分が自分を苦しめてるって、頭ではわかってる。「成長したい」「自分を高めたい」って思いと同じくらいの重さで、「楽しみたい」「笑いたい」って思いをもってないと。

前者はひとりでもできるけど、後者は人と関わらないとね。

お腹の子が心配で寒い中あんまり出かけないようにしてたけど...家にこもるのは自分には向いてないね。家の外に、自分の居場所をもっていたい。これから1年は待機期間として、子どもを保育園に預けられたら何をしたいか。そもそも子ども預けてまでほんとに働きたいの?

どうやって生きていきたいのか、今がじっくり考えるときやね。

大事な大事な準備期間やって、ちゃんと意識してよう。主婦業に息を詰まらせてる時間がもったいない。もったいない...ってわかってるんやけどね。

やることのない膨大な時間に、やる気を奪われてしまうのも人間。そんなときもあるさー。

ぼちぼちいきましょ。

【読書】E・V・フランクル「それでも人生にイエスと言う」

ユダヤ人強制収容所で生き延びた精神科医フランクル博士の著書。言わずと知れた名著「夜と霧」の著者が、壮絶な体験を経てなお人生は肯定されるべきものであると語ります。

 


フランクル博士の主張の核は、「人生の今におけるコペルニクス的転換」。つまり、私たちが「人生にどのような意味があるのか」問うのは間違っていて、私たちこそが「どのような意味を実現するのか」人生に問われているのだと言います。

 


確かにハッとさせられるというか、「その視点はなかったなぁ」と思います。そもそも、人生の意味について考えるほど、辛い体験したことないです、私。受け身のぬるい人生送ってんな~。その中でも何か価値を実現することが、重要なんでしょう。

 


フランクル先生によると、価値を実現するためには3つの方法があります。ひとつめは行動や創造によって、ふたつめは愛などの体験によって、みっつめは苦悩を受け入れる態度によって。

 


読んでるときは「ふんふん」って思うんだけど、実際日常生活で意識するってなかなか難しい。重いし。常に「いま私は人生からこんな問いを投げかけられていて、こんな意味を実現することで答えとする」って、いちいち考えてられませんー。

 


え、考えることが哲学だって?
そんなこと言ってるから、思考停止のちんちくりんになるんだって??

 


うーん、そうなのかもしれません。いつも行き当たりばったりで、人生についてちゃんと考えたことないです。何の本のタイトルだった「行き当たりばっちり」という言葉が好き。

 


フランクル先生は「人間の実存とは決断である」とも言っています。そうそう、人生を真剣に考えるって、真剣に決断するってこと。一瞬一瞬の自分の言動や気分も、選択の連続。常に決断の連続。決めるのが苦手で流されがちな私は、この視点からみても人生への向き合い方がテキトーなのかも。

 


もーしゃあない!自分の人生に責任感なくても!30年それで生きてきたんだから。これから少しずつ意識していくしかないです。

 


この本を読むと、人生と自分はパートナーなんだという感覚になります。「人生は自分のもの」でもなく、「人生は自分を支配するもの」でもない。フランクル先生いわく、「人生は課されたもの」なんですけどね。

 


自分がこうありたいと思う生き方と、自分に意味を問いかけてくる人生は、別のもの。「人生を創造する」というときの「人生」と、フランクル先生のいう「私たちに意味を問いかける人生」は、別のもの。なのかなぁと、思います。

 


自分で書いててよくわからなくなってきました。おおざっぱにまとめると、どんな状況でも選択の自由は残っているのだから、前向きに生きていこうと励ましてくれてる本だと思います。強制収容所を生き延び、精神科医として数多くの患者と関わってきたフランクル博士の言葉だからこそ、説得力があります。

栗林公園 香川の思わぬ観光名所

こんにちは。もひーこです。


天気が良かったら、豊島に行くつもりでした。空間そのものがアートになっているという豊島美術館に行ってみたかったんです。


ところがあいにくの雨。しかも台風接近中。船が止まって島に足止めされるのも、荒波を乗り越えて船酔いになるのも困りものです。ここは安全に、高松市栗林公園を観光することにしました。


HPをみると、「一歩一景を誇る特別名勝」とうたっています。確かにどこを切り取っても風流で絵になる大庭園でした。
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江戸時代、高松藩の歴代お殿様たちが、100年あまりの歳月をかけてつくりあげたそうです。美しい自然を愛でることが、昔は最大の贅沢だったのでしょうか。
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現代の娯楽は多種多様で、消費システムにのみ込まれていて、広告にあおられています。本当に心を満たすものは何なのか、よくわからない。自然の美しさで心を満たすというのは、とても本質的な楽しみ方だと思います。
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ただ、庶民は怒ってたかもしれません。「殿様が庭に滝をつくれって言うもんだから、水の汲み上げに人手をとられて稲の刈り入れが進まないよ!」今はポンプで汲み上げています。


私がいちばん心惹かれたのは、掬月亭です。お茶付きで別料金ですが、そのたたずまいがどうしても素通りさせてくれませんでした。悠久の歴史が建物に刻み付けられていて、はるかな昔から今につながる時間が空間を満たしています。
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窓に切り取られる庭園の姿もまた美しい。
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庭園は、石ころひとつ置き場所が変わるだけで印象が変わります。端正に計算しつくされた自然はある意味人口的と言えますが、本来の姿よりも優美で私の心を捉えました。


人間の都合といえば、人間の都合ですが。自然はきっと、自然のままがいちばん美しい。でも管理された庭園にも趣を感じる感性が、長い歴史の中で私たちのDNA に組み込まれたのだと思いました。


日本に関する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では「わざわざ旅行する価値がある」を意味する三つ星に格付けされています。「だいぶ上から目線やな」と夫が申しておりました。


でも本当に、わざわざ行く価値はあります。遠い昔、私たちは何に価値を見出だしていたのか。思い出しに行きましょう。
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こんぴらさんと香川のおでん

こんにちは。もひーこです。

 

先日、初めてこんぴらさんに行ってきました。正式な言い方は、「金刀比羅宮に参拝してきました」ですね。夕方から用事があったので、昼過ぎに琴平駅に到着してからの弾丸観光です。

 

まずは、琴平駅近くの「おがわうどん」にて昼食タイム。具だくさんのディスプレイがとてもおいしそうだったので、「しっぽくうどん」にしました。「しっぽくうどん」とは、讃岐の代表的な秋冬の郷土料理で、数種類の野菜を煮込んで温かいうどんにのせたもののことです。雨で体が冷えていたので沁みました~。

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食べかけ

 

「香川のうどん屋のおでん」も初めていただきました。正直、うどんよりもおでんのこんにゃくの方が美味しかったです!透明感があって上品な味のこんにゃくに、甘い味噌だれがとてもよくあってました♪これで1本100円はとても魅力的!おでんも香川の名物らしいです。

 

なぜ785段の石段を登らないと、金刀比羅宮にお参りできないのでしょう?がんばって辿り着く方がありがたみがあるからでしょうか。祭ってあるのは海の安全を守る神様なのに、なぜこんな山奥につくったのか...由来が気になるところです。

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 そんな疑問はそういものだと早々に割り切って、苔むした石燈や、緑の深さ、厳かな気配をまとった澄んだ空気を楽しみました。だいぶ疲れましたけどねー。夫はいつも私に合わせてくれる優しい人ですが、歩くスピードだけは別。「大股で歩くことによってたくさんの筋肉が刺激されるんだ」「運動できる機会に感謝するんだ」と言って、ぐいぐい進んでいきます。

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階段を撮影する余裕がなかった。

 

1時間かからなかったかなぁ。本宮までの785段、なんとか登り切りました。下界が見渡せて、とてもいい景色♪四国の山は日本昔話に出てくる山みたにコロコロ小さくて、独特の景観をつくりだしているなぁと思います。

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せっかくなので奥社まで行きたかったのですが、ここでタイムアップ!足元が濡れていたので、滑らないように一歩一歩集中しながら下山しました。雑念を振り払うのにちょうどいい修行になりそうです。

 

帰りは石燈で雨宿りしている猫ちゃんが見送ってくてくれました。ばいばーい。

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【読書】リトル教授の心理学講座②

こんにちは。もひーこです。ブライアン・R・リトル著「ハーバードの心理学講座」2章~3章あたりを読んだ感想です。


あなたは自分や他者の性格について、どのように理解していますか?


私たちの性格は、特定の「タイプ」に当てはまる訳ではありません。性格は大きく5つの要素に分けることができ、各要素はグラデーションのように濃淡があり、人は必ずそのどこかに位置します。具体的には、①誠実性②協調性③情緒安定性④開放性⑤外向性 の5つです。この尺度を使用することによって、私たちは自分や他者を新たな視点で解釈することができると、リトル教授はいいます。


リトル教授は、私たちは独自のメガネをもって世界を解釈していると言いますが、このビッグ・ファイブもメガネであることは同じです。パーソナル心理学の研究者が好んで使うメガネ。でも確かに、個々人の偏ったメガネよりは、バランスがよいのかなと思います。


リトル教授の主張でおもしろいところは、個人のパーソナリティは遺伝的、社会的、個人的な動機に従い構築されているというところ。つまり、生まれもった性格、環境や社会に適応するための性格、自分の大切なプロジェクトを達成するための性格、すべてが自然な自分だということです。


なので、ビッグファイブ・モデルで他者や自分を新しくとらえ直すことをすすめるけど、あまり深刻に受けとめるなと言っています。どっちやねーん!


ここからは個人的な考察ですが、私の特徴的なパーソナリティは、「真面目」です。毎日2時間かけて授業の復習をするような、子どもの頃の自分に自分でもどんびきするくらいの真面目ちゃんです。あ、最近も真面目に仕事しすぎて同僚に「どんびきした」って言われました。ちなみにビッグファイブ・モデルでは、誠実性が高い、ということになります。これは、環境の影響で強化されてきたんじゃないかなぁと思います。


たぶん、私が生まれもった特性は「真剣に何かに取り組むのが好き」だということ。何かに集中している時間を必要としています。真剣に何かをしたいというパーソナリティが根底にあって、それが社会的に推奨されていることだけに発揮されているうちに、勤勉に生きる「真面目ちゃん」になっちゃったのでしょうか。


「真面目に生きる」と「真剣に生きる」は全然違いますよね。社会的規範からはみ出さないことが「真面目」で、自分の基準で価値があると認めたものに真摯に取り組むのが「真剣」。私がメンタル不調で休職することになったのは、「真面目に生きる」のはそろそろ限界だよってカミサマが教えてくれてるのかもしれない。


長年掲げてきた「真面目」という看板を下ろして、これからは「真剣」を軸にして生きていきたいと思いました。「真面目」は常時稼働って感じだけど、「真剣」はメリハリで抜くときは抜く感じ。真剣に楽しんでもいいし、真剣におもしろがってもいい。「真面目」よりうんと自由度が高い気がします。


生まれもった性格は、ご先祖様がその性格でもって生き抜いた証。環境に合わせて身につけてきた性格は、今この場所まで導いてくれた相棒。そして自分のプロジェクトのために獲得する新しい性格は、人生の幅を広げる可能性。全部ぜんぶ、大切な自分の一部です。どんな自分も受け入れていきたいものです。

【映画】クリストファー・ノーラン監督「インセプション」

こんにちは。もひーこです。ネタバレありです。

 

クリストファー・ノーラン監督「インセプション」観ました。5年程前にも1度観ているのですが、ほとんど内容を忘れていたのでとても楽しめました!

 

ターゲットの夢に入り込み、潜在意識へある「アイディア」を埋め込むことによって、ターゲットの行動を変えようと試みるお話です。レオナルド・デカプリオが演じる主人公のコブが潜在意識に問題を抱えているもんだから、ミッションに障害が増えてしまいストーリーはより複雑になっていきます。設定、ストーリー、映像、どれもつくり込まれていて密度の濃い映画でした。

 

私はコブの相棒アーサーが好き。神経質そうだけど、めっちゃ仕事できるやつです。誰も思いつかないような解決方法を考え出して、しかもちゃんと実行できる実務能力の高さ。職場にひとり欲しい人材ですね。執事っぽい外見なので肉体派には見えないのですが、肉弾戦も強くてそのギャップがまた良いです。

 

ラストはどっちにもとれる終わり方です。ミッションに成功してコブは現実世界の家に戻れたのか?それとも夢の世界に囚われてしまったのか?肝心の結末は観客にゆだねられます。これは考え出したらきりがない。でもちょっと考えてみます。

 

ラストの直前、コブが助けにいったサイトーが年老いていたことから、コブは1度夢の3階に戻ってから4階に降りたのか、もしくはサイトーがさらに5階まで落ちてしまったので追いかけたかのどっちかだろうと思いました。(下に降りるほど時間の流れが速いのでね。)さらに状況を考えると、3階も2階も1階も、起きるための装置がもう働いているので、1度3階に戻ってしまうとサイトーを助けられない。だからコブは4階でサイトーを見つけたものの、サイトーがそこでも意識を失った為にさらに深く潜ったのではないかと思うのです。

 

でも、もう起きるための装置は起動しているのです。4階でサイトーを殺してしまえば、サイトーは目が覚めて助かります。なぜわざわざ5階へ潜ったのか…。と考えていくと、きれいにミッションが完了したとは思えないんですよね。コブは現実の可能性にかけるより、100%成功する夢の中での幸せを選んだのでしょうか。「家に帰るためなら手段は選ばない」って言ってましたしね。

 

ワタナベ・ケン演じるサイトーも、凄みがあってかっこよかったです。競合会社の御曹司に会社をつぶさせるため「アイディア」を潜在意識に埋め込む依頼をするなんて、姑息なんですけどね。なんでこの役に日本人をもってきたのかなと思いましたが、強引さや意志の強さも魅力になってるので、あまり突っ込む必要はないか。何か大義があるんだろうなぁと、この依頼に自分の命までかけちゃうサイトーのバックグラウンドも気になるところです。 

 

【映画】ラリー・ウォシャウスキー監督「ジュピター」

こんにちは。もひーこです。若干ネタバレあります。

 

今まで観た中でいちばんおもしろかった映画は、「クラウド・アトラス」です。「ジュピター」は同じ監督なので、借りてみました。パッケージのあらすじを読む限りでは「生まれつき地球の所有者って...設定がぶっとびすぎておもしろくなさそう…」という印象でしたが、思ったより楽しめました。

 

アクションシーン、宇宙船、宇宙都市、惑星等の映像が迫力あってきれいでした!映像がダントツでかっこよくて楽しめます。ストーリーは序盤は置いてけぼり感ありましたし、女王なのに扱い雑過ぎない??またその展開??宇宙規模でスケールでかいけど登場人物少なすぎじゃない??ケインの設定回収できてなくない???等々突っ込みどころはいろいろありましが、それを差し引いてもおもしろかったです。

 

マトリックス」はちゃんと観たことがないのですが、私はラリー・ウォシャウスキー監督の世界観が好きなんだろうなぁと思います。SFだけど、完全にファンタジーではなくて、現実世界の裏側や外側を想像させるつくり。確か「マトリックス」では、みんなが現実だと思っている世界は、機械が人間に見せている仮装現実でしたよね。映画を観終わったあと、ふと「あれ、今自分のいる世界は絶対に仮想現実ではないって、説明できる?」と思う訳です。

 

そういう、私たちの「当たり前」をぶっ壊しにかかってくる作品は、独創的な視点がおもしろくてワクワクします♪「マトリックス」では≪人間=機械の燃料≫という設定でしたが、「ジュピター」ではさらにえげつない設定でした…。具体的な描写はほとんどないけですけどね。