【読書】E・V・フランクル「それでも人生にイエスと言う」

ユダヤ人強制収容所で生き延びた精神科医フランクル博士の著書。言わずと知れた名著「夜と霧」の著者が、壮絶な体験を経てなお人生は肯定されるべきものであると語ります。

 


フランクル博士の主張の核は、「人生の今におけるコペルニクス的転換」。つまり、私たちが「人生にどのような意味があるのか」問うのは間違っていて、私たちこそが「どのような意味を実現するのか」人生に問われているのだと言います。

 


確かにハッとさせられるというか、「その視点はなかったなぁ」と思います。そもそも、人生の意味について考えるほど、辛い体験したことないです、私。受け身のぬるい人生送ってんな~。その中でも何か価値を実現することが、重要なんでしょう。

 


フランクル先生によると、価値を実現するためには3つの方法があります。ひとつめは行動や創造によって、ふたつめは愛などの体験によって、みっつめは苦悩を受け入れる態度によって。

 


読んでるときは「ふんふん」って思うんだけど、実際日常生活で意識するってなかなか難しい。重いし。常に「いま私は人生からこんな問いを投げかけられていて、こんな意味を実現することで答えとする」って、いちいち考えてられませんー。

 


え、考えることが哲学だって?
そんなこと言ってるから、思考停止のちんちくりんになるんだって??

 


うーん、そうなのかもしれません。いつも行き当たりばったりで、人生についてちゃんと考えたことないです。何の本のタイトルだった「行き当たりばっちり」という言葉が好き。

 


フランクル先生は「人間の実存とは決断である」とも言っています。そうそう、人生を真剣に考えるって、真剣に決断するってこと。一瞬一瞬の自分の言動や気分も、選択の連続。常に決断の連続。決めるのが苦手で流されがちな私は、この視点からみても人生への向き合い方がテキトーなのかも。

 


もーしゃあない!自分の人生に責任感なくても!30年それで生きてきたんだから。これから少しずつ意識していくしかないです。

 


この本を読むと、人生と自分はパートナーなんだという感覚になります。「人生は自分のもの」でもなく、「人生は自分を支配するもの」でもない。フランクル先生いわく、「人生は課されたもの」なんですけどね。

 


自分がこうありたいと思う生き方と、自分に意味を問いかけてくる人生は、別のもの。「人生を創造する」というときの「人生」と、フランクル先生のいう「私たちに意味を問いかける人生」は、別のもの。なのかなぁと、思います。

 


自分で書いててよくわからなくなってきました。おおざっぱにまとめると、どんな状況でも選択の自由は残っているのだから、前向きに生きていこうと励ましてくれてる本だと思います。強制収容所を生き延び、精神科医として数多くの患者と関わってきたフランクル博士の言葉だからこそ、説得力があります。